ブログ移転するかも

ちょっと気分を変えるためにこのブログをやめようか迷っている。
やめると言っても、記事を消すわけでもないしブログ自体は他のところで続けるのでまぁ大した変化はないが。。


僕はこのブログを始めた時、どんなに過去の自分が恥ずかしくなっても絶対に記事を消さずにつながっていく時間を残していこうと思っていた。それはそれで面白いなぁと思うものの、昔の記事を見ても基本的に今の自分と同一視されてしまうことが嫌でもある。
Webページは割とそういうものだと思うしいつ書かれたものなのかを意識しないで済むのは、メリットでもデメリットでもあると思う。
だから、そのデメリットを補うために、昔と今を区別するための工夫としてブログを変えようかな、という気分になった。


どうしようかなぁ。
移転するとしたら、移転先はここです。すでにひとつエントリを書いていますが。
http://tettou77-1.hatenablog.com/


「結局はてなじゃんw」と言われそうだけど、気分的には立派な移転だ。

ガスタンク検査の現状

刺青ガスタンク - 友人と見る鉄塔の続き。


最近までずっと防音シートで包まれていたが、昨日見たらシートが剥がされていて足場が見えていた。
検査するついでに塗装もしたと思われる。
ただ元々割ときれいなガスタンクだったのでツヤ具合にはそれほど変化があるようには見えなかった。




もうそろそろ「バージ作業」が始まるんだろうか。

ランダムな白と黒の画像(砂嵐)

地デジ化してから、たまにテレビの砂嵐が見たくなっても見られなくなった。
あのホワイトノイズみたいな音もいいけど、むしろ電池を舐めた味みたいな何とも言えない模様も好きだ。スローモーションでじっくり見たい。


……という要求を叶える動画を作った。


「お湯をゆっくり注ぎすぎた」という話

図は、コーヒーを淹れるときに遅すぎる速度でお湯を注いでいる写真。
コーヒーになって落ちる量よりも注がれるお湯の量が少なすぎて、真ん中が陥没してしまっている。ちょっとやっただけで劇的に不味くなるわけではないが、美味しくなる注ぎ方とは言えないと思う。


ところでこういう場合によく「お湯をゆっくり注ぎすぎた」という表現をしてしまうことがあるけどそれは間違った日本語なんだろうか? といつも気になっている。
「お湯を注ぐのがゆっくりすぎた」なら素直に読めるが、「ゆっくり注ぎすぎた」と言うと、お湯の量が多すぎたのか速度が遅すぎたのか分からない。


同じような表現で、「早く集合場所に着きすぎた」という表現も聞いたことがある。「着きすぎる」とは何だろう。
あと「たくさん写真を撮りすぎた」なら多分問題ないが、「たくさん連写しすぎた」と言うと枚数の多い連写撮影をしたのか、連写撮影自体を何度もしたのかが不明になる。


単に、どこに係っているのかが曖昧というだけの話ではあるけど。
僕は文脈を読むのが苦手なので違和感が残ってしまっている、というだけのことかもしれない。

プロジェクションフォト

ガソリン発電機を買ったので、外で電源を使って遊べるようになった。
この前やってみたのは野原でのプロジェクション。





実際には映像を使ったので、空が地面に映ったり水面が岩肌に映ったりするだけで意外と面白かった。
なにかできそう、かも。

刺青ガスタンク


近所のガスタンク。いつもはチラ見する程度だが今日はタンクの上半球に釘付けになってしまった。
変な模様がかいてある!
規則性がありながらも歪んだテクスチャ。気持ち悪くて鳥肌が立つ。
撮ってる間は慣れてそうでもなくなってきたが、こうやって写真で見るとやっぱり気持ち悪くて自分の体まで痒くなってくる。



最初はもしや解体工事でもするのかと思って、これがガスタンクの死相か! と思ったが違ったらしい。
「ガスホルダーの検査をしています」という看板と、そのスケジュールの看板が並べて立ててあった。
小さくて見づらいと思うが(クリックすると拡大します)、スケジュールによると11月中頃で点検は完了する。
騒音防止のシートで覆い隠す期間があるということなので、今撮っておいてよかった。


それはそうと、「バージ作業」なるものが恐らく先週までの数日間にすでにあったようで、10月の下旬にもやるらしい。
説明によると「夜間に炎が広島ガス周辺を照らします」とのことなので、ぜひ観に行きたい!
「10年〜15年の周期で」検査するらしいので、オリンピックよりも貴重な機会と言える。



別の角度から見ると黒く塗られた領域が見える。
恐らく赤い線で細かく印がかいてあるところも同じように黒く塗られていくんだろう。
意味はよくわからないが、赤い印よりも気持ち悪さは薄れるので鑑賞者としては助かる。



時間があれば時々見に行ってみようと思う。

僕が写真を撮る理由

今日、写真展を見に行った。
友人を含めた4人の展示だったが、風景や光景を格好よく切り抜いてあって、真似できないなぁとか思いながら眺めていた。
帰り際に僕が撮った写真を公開する約束をしてしまったので、どんな写真を見せようか悩んでしまった。


別に変な写真を撮っているわけではないものの、わざわざ見せるほどの写真を撮っているだろうかとつい考えてしまう。
僕には、単に機材が好きな割に写真に対する興味が薄いのでは、という否定感が常にある。
撮影が好きなことは自覚しているが、撮ってみてもなんか写真って感じがしない。



↑帰り際に撮ったサビサビな消防水利の標識


そういえば自分の撮った写真は色々なものを上手にまとめたようなものは少なくて、撮りたいもの以外を画面から排除したようなものが多い気がする。
食に関しては、今はまともになったが、ハムサンドよりもハム単体がよかったりショートケーキよりも生クリームの塊が好きだったりした。
それは関係ないかもしれないが、過去に撮ったこんな写真は好物だけで出来た偏食料理のようにも見える。




↑うちのねこ(さくら)、カラーコーン、S字のガードレール、鉄塔


前に、鉄道好きが鉄道写真をわざわざ自分で撮る理由は決して手に入らない物への所有欲を満たす行動だからではないか、と考えていたことがある。
実は自分のことだったのかもしれない。


だから色んな物が混在した風景が撮れないんだろうか。


※補足
好きな物だけを全面に出した写真をいい写真と定義することで、僕の写真の多くをいい写真にすることができます。